神を認めない人々の人生観

「人の一生は、重荷を負うて、遠き道を行くがごとし」

徳川家康

「僕は、自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです」

太宰治

「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」

孔子

 多くの人が人生について考え、語ってきました。しかし、歴史に名を残した人や天才と言われる人であっても、生きる目的について確かな答えを見つけることができずに悩み、迷っています。
 なぜこの重大な問題の答えを見出すことができないのでしょうか。それは人間をお造りになった神を認めないからです。そのために、人は人生の目的や意義が分からずに悩み、迷ってしまっているのです。

一度きりの人生


 私たちは、あと戻りのできない、たった一度きりの人生を送っています。この人生を真に有意義な、悔いのないものにするには、次の質問に真正面から取り組む必要があります。

 毎日忙しく生活し、勉強や仕事に励み、趣味や娯楽に楽しみを求めても、人生についての大切な問題の答えを持たずにいるなら、振り返ったときに、それは空しく悔いの残る人生となってしまいます。
 聖書に登場するソロモン王は、とても頭の良い、裕福な王様でしたが、神を忘れたために人生の目的と意義を見失い、次のように言わなければなりませんでした。

「私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、
なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。」

旧約聖書 伝道者の書2章11節

 そこで、人生の目的について正しい答えを得るために、まず、人間とは何者であるのかを考えなければなりません。

そもそも人間とは何者なのか

 人間は創造主である神によって造られた存在であるか、それとも、大昔に偶然に発生し、サルから進化した動物にすぎないか、答えはこのどちらかです。
 もしも後者であるなら、生きる目的はなく、死んでしまえば、存在はなくなってしまうということになります。
 しかし前者が正しいなら、すなわち、神が存在するなら、神によって造られた人間には生きる目的があり、死は消滅ではなくなります。

 私たちの体の各部分にはそれぞれ目的があります。目には見るという目的がありますし、口には食べる、話す、という目的があります。それなのに、目的をもっている目や口やその他の器官でできている私たちに、目的がないなどということはありえません。それは、例えるならば、ブレーキやハンドルには目的があるけれど、車には存在する目的がない、ということと同じくらいおかしなことです。人間は、神様によって、すばらしい目的を持って造られたのです。

「神は人をご自身のかたちとして創造された。
神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」

旧約聖書 創世記1章27節

人生の真の目的を見いだすために


 神は、ご自身の愛の対象として、私たちをお造り下さいました。私たちは、愛なる神を喜びたたえつつ、神とともに永遠に生きるために造られたのです。これが本当の人生の目的です。
 ところが、人々は神を無視し、神に背を向けて生きています。それが罪です。神は正しい方であり、全宇宙の主権者であるので、神に逆らう罪人に必ず刑罰を下されます。それが、永遠の苦しみの場所、地獄です。
 しかし、神はあわれみ深い方であられ、私たちが自分の罪を認め、悔い改めるなら、罪をゆるして下さいます。

 私たちを救うために、神の御子イエス・キリストが、全人類の身代わりとなって、罪の刑罰を受けて死なれました。さらに、死後三日目に復活されました。キリストの十字架と復活を土台として、神は、だれでもキリストを信じる者の罪をゆるし、永遠のいのちを与え、天国に入れて下さいます。
 あなたも自分の罪を認めて、キリストを信じるなら、すべての罪がゆるされて、神のもとに帰ることができます。神によって造られた人間は、神のもとでのみ、永遠の喜びと満足を得ることができます。どうかあなたも神のもとに帰り、人生の真の目的を見いだして下さい。

「主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。
私たちの神に帰れ。豊かにゆるしてくださるから。」

旧約聖書 イザヤ書55章7節